会主のお話し
「心とは」その四
会主 丸山維敏
先号で、次回は「人間原理」につき記します。と書きましたが、思うところがあって、「人間原理」は抜きとして、私達が普段にもちいるいわゆる心について記します。 よく「健康」という言葉が使われます。「健康第一」「ご健康に」等々いわれますが、俗にいう「健康」とは「肉体」の状態を指す場合が殆どです。本来「健康」とは略語であって「健体康心」が正しいのです。すなわち、「健やかな体に康らかな心」という意味です。ですから「ご健康に」とは「お健やかでゆったりと康らかなお心でお過ごしください」という意味なのです。それなので「ご健康をお祈り致します」とは、まず「康心」です。すなわち「心が身体を動かす」ことは、私達が此の地球上で生きていく上であたり前のことなのです。心が荒れていたら身体を害することは自明の理なのです。 私の知人の女性で、ご主人を若い水商売あがりの女にとられ、怒りの余り全身を癌に犯されて亡くなった方がおります。またその相手の女性も、何か氣にくわないことがあるとすぐカーッとなって恕鳴りちらしする人で、当のご主人が亡くなるとすぐ、胃癌で亡くなりました。そういう私も、どちらかというといわゆる正義感の強い方で、一昨年ありました闇バイトと称して若者が金持ちの家に押し入り、無抵抗で高齢な女性を、また別の場所では高齢な男性をそれぞれ縛り上げたあげく、卑怯にも鉄棒で減多打ちして殺した上、金品をうばうという事件が多発しました。私の心は怒りにふるえました。その結果、私は健康を害して医者にかかったことがありました。 私は稲盛和夫さんのご著書を読ませて頂いております。その中で次の条項に接した時、ハッとしました。「心が呼ばないものが、自分に近づいてくることはなく、現在の自分に起こっているすべての現象は、自分の心の反映でしかありません。私たちは、怒り、恨み、嫉妬心、猜疑心などと否定的で暗いものを心に描くのではなく、常に夢を持ち、明かるく、きれいなものを心に描かなければなりません。そうすることで、実際の人生も素晴らしいものになるのです」オリンピック創始者クーベルタン男爵の「健全なる精神は健全なる肉体に宿る」とは有名な言葉ですが、「心が呼ばないものが、自分に近づいてくることはない」という稲盛和夫さんの言葉も素晴らしいと思います。 そこで思い出すのが合氣道創始者植芝盛平先生のお言葉である「合氣道は愛じゃ」です。「愛」というと、人々はすぐ男女の愛を思い出すのですが、それは明治以後の話であって、それ以前の江戸時代迄は「愛とは心を込めること」という意味だったのです。例えば、貴方が何か机に向かって仕事をしている時、ご家族の方がお茶をもってきて、そっと脇に置いたとします。貴方はコンピューターの画面を見たまま「ありがとう」と言いませんか。「心を込める」とはその時、貴方はご家族の方のお顔を直視して、微笑と共に「ありがとう」と言うべきです。それが「心を込める」すなわら「愛を込めて」という意味です。只感謝の言葉のみを言うのは「礼儀」というのです。元来、礼儀は「愛」から始まったものです。論語に「仁ありてこそ」と言う言葉がありますが「仁」とは「思いやり」という意味です。真の合氣道は相手に氣を向けて(心を込めて)稽古するものです。否、心を込めて(愛と共に)何事をも行う為の稽古なのです。先ず貴方が何かを行う時、貴方の鼻と二つの目の向きを、その何かに必ず向けて下さい。そして臍下丹田に心を鎮めて明かるく愉快な心で事にのぞんでください。そして、他のくだらない、あるいは許すことの出来ない事件等には心を動かされず、心を込めて、愛と共に行動してください。それが「康心」であり合氣道なのです。「康らかな心」には必ず「健やかな体」が着いてきます。「康らかな心」を持つことは、ある意味これは大変なことです。でもそれが修行なのです。ここでもうひとつの稲盛さんの言葉を記します。「かねてから事をなすにあたっては、「狂であれ」と言っている。バリアを越えるには、それを打ち破れるだけのエネルギーが必要となるからだ。エネルギーとは、それに従事している人の情熱だ。燃えるような熱意、すさまじい根性と執念などが、バリアを越えるエネルギー源であり、チャレンジの必要条件となるのだ」 私は毎朝東向きの我が家のバルコニーに出て、登る朝日に向かい、太陽を直視して十回深呼吸をします(これを十言のカジリといいす)これは曇天でも雨天でも雲の向こうの太陽に向かって行います。そして大宇宙の大いなるエネルギーを私にお与えくださいと祈ります。次に私が世話になった人々、親しい人々の名を声を出して呼び上げ感謝の念を送ります。この行は一日たりともやらないことはありません。一ヶ月の一度の稽古が九時から始まる時は、午前三時には起きて、未び登らぬ太陽に向かいこの行を行ないます。「至誠天に通ず」「神は自ら助くる者を助く」私は医者が何を言おうと、治らぬ病は無い。全ての病は自分の心が作ったものと固く信じております。 「健康」(健やかな体と康らかな心)これこそ人々が一生かけて追い求めていかねばならぬものではないでしょうか。
